テレビを付けていれば、必ず目に入るお笑いタレント。一説には数千人を超える芸人がいるそうです。その中からテレビに出演し、自分の番組を持ち、そして長期間人気者でいられるのが極々僅か。そんな数多いお笑いタレントの中から、クチコミユーザーお気に入りのお笑いタレントは誰なのか?ベテラン、若手入り混じってのクチコミランキングです。
お笑い界の歴史を語る際には「ダウンタウン前、ダウンタウン後」という区切りがあるといいます。
それを聞くだけでも、ダウンタウンがどれだけ革命的な笑いを行ってきたのかがわかります。
コンビ結成は1982年。
漫才ブームも終焉となり、吉本の劇場にも閑古鳥が鳴き始めた頃。
ダウンタウンの二人が漫才師としてデビューしました。
ボケとツッコミが速いテンポでまくしたてる、これまでの笑いとは全く異なる、スローテンポな会話。そしてシュールすぎるネタに、阪神巨人やいくよくるよで笑う花月の客はしらけ、そして若者達から熱狂的な支持を受けました。
後に大阪で大ブレイク。
東京進出後に始めた番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」は、1989年スタート。20年以上続く長寿番組に。
ほかにも「リンカーン」、「ダウンタウンDX」など、コンビで5本のレギュラーを持つほか、ソロでも活躍しています。
歌手としても多くのヒット曲をもち、浜田は1985年にH jumgle with Tで「WOWWARTONIGHT 時には起こせよムーブメント」がダブルミリオンを記録。紅白歌合戦に出場。2001年にもロンブー、東野らとRe:Japanを結成し「明日があるさ」で2度目の紅白出場を果たしました。
1994年に創設された、吉本興業の札幌事務所にオーディションで合格したタカアンドトシ。札幌吉本一期生としてローカルタレントで活躍後、2002年に東京進出。NHKテレビの「曝笑オンエアバトル」では、18回連続オンエアという記録(当時)を打ち立て、さらに第7回、第8回と2回連続グランドチャンピオンに輝きました。タカアンドトシのブレイクネタといえば「欧米か」。この「○○か」は、さまざまな言葉で使われ大流行しました。現在レギュラー番組は、テレビ朝日系のゴールデンタイム「もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ! 」やフジテレビ系の「笑っていいとも」など10本以上。
全国放送以外にも、地元北海道ではUHBテレビ「どぉーだ!Presentsタカトシ牧場」やHTBテレビ「地元応援バラエティ このへん!!トラベラー」に出演しています。
コンビ結成は1990年。NSC9期生の2人が憧れていた芸人はとんねるず。「大阪のとんねるずになろう」とNSCの門を叩き、芸能界入り。1991年にダンスと笑いをミックスさせた、吉本興業の若手芸人ユニット「天然素材」でブレイク。その後、東京に進出してからの活躍はご存知の通りです。東京進出後にスタートした番組は「ぐるぐるナインティナイン」、「めちゃめちゃイケてるッ」、そして
「ナインティナンのオールナイトニッポン」。そのいずれもが、今もなお続く長寿番組となっています。2010年には岡村が体調不良で長期休養。その間、レギュラー番組は矢部が一人で行っていました。それぞれソロとしてのタレント活動も盛んで、矢部はサッカー情報番組「やべっちFC」を2002年から担当。岡村は休養明けより東野幸治やホンコンとのレギュラー番組をスタート。新たな一面を見せています。
長年お笑い界のトップを走り続けている、さんまが4位にランクイン。さんまの武器はなんといってもフリートーク。日本テレビ系の「踊るさんま御殿」やフジテレビ系の「さんまのまんま」をはじ
め、ホストでありながら自らが一番喋って、そして一番笑いを取る。別名・お笑い怪獣、工場長などと若手芸人から尊敬され、かつ恐れられているのも納得です。さんまの代表作といえば「オレたち
ひょうきん族」。ブラックデビルから始まって、アミダ婆やしっとるけ、なんですかマンなど次々とキャラクターが誕生しました。プライベートではドラマ「男女七人夏物語」で共演した女優・大竹し
のぶと結婚。今では当たり前になりましたが、お笑い芸人と女優の結婚は当時随分と話題になりました。その後離婚をしましたが今でも時々テレビで共演する姿を見かけます。俳優としても多くのヒットを飛ばし、前出した「男女七人夏物語」のほか、「恋も2度目なら」、「空から降る一億の星」、「世界で一番パパが好き」などで主演。バラエティ要素の強い「心はロンリー気持ちは・・・」シリー
ズは、今でも名作との声が多い作品です。
「おぎです」、「やはぎです」、「おぎやはぎですけどなにか」でお馴染みのおぎやはぎ。1995年いコンビ結成後、その独自感溢れる漫才スタイルはその実力を認められながら「テレビ向きではないのでは?」という声が出ていた頃も。しかし今では多くのレギュラー番組を持ち、テレビに欠かせない存在となっています。漫才師としては2001年と2002年のM-1グランプリに出演。2001年は出演者10組中最低の10位に終わりましたが、翌年はファイナルラウンド目前の4位(3位は笑い飯)とチャンピオンにこそなれませんでしたが、前年のリベンジを果たせた形になりました。今では漫才を見ることはできませんが、TBSラジオで放送中の「JUNK・おぎやはぎのメガネびいき」では、 おぎやはぎテーストのフリートークを毎週展開しています。
東京NSC10期生のはんにゃは、金田哲と川島章良の2人組。
同期にオリエンタルラジオやフルーツポンチがいます。
爆笑レッドカーペットに出演したことで人気に火がつき、一気にブレイク。キャラクターづけされた独自の世界観を持ったコントが、若い女性を中心に受けています。レギュラー番組には、テレビ東京の子供向けバラエティ「ピラメキーノ」やフジテレビの「ホメられてノビルくん」、中京テレビの「地元応援バラエティ このへん!!
トラベラー」などがあるほか、日本テレビ系の「ぐるぐるナインティナイン」など準レギュラー番組も多数抱えています。
前出した「ピラメキーノ」では、フルーツポンチと共にCDをリリース。番組のテーマソングでもあった「ピラメキたいそう」と「Onaraはずかしくないよ」の両A面シングルは、オリコン最高2位の大ヒット。日本レコード協会よりゴールド認定も受けました。
世界の北野武ですが、コメディアンとしては浅草のビートたけしという呼び名がふさわしいでしょうか。浅草出身でビートきよしと組んだツービートで漫才ブームに乗り大ブレイク。オレたちひょうき
ん族のタケちゃんマンやオールナイトニッポンで、ピン芸人・ビートたけしの地位を確立。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」、「OH!たけし」など週に数
本の冠番組を持ち常にテレビ界をリードしてきました。フライデー事件やバイク事故でブラウン管から姿を消した時期もありましたが、今でも第一線で活躍。テレビ朝日系の「ビートたけしのTVタッ
クル」や日本テレビ系の「世界まる見え!テレビ特捜部」などレギュラー本数はなんと8本。NHKも含め、全ての東京キー局でレギュラーを持つ唯一の芸能人。それがビートたけしです。
あるデータによると、2010年もっともテレビに出演したタレントだそうです。1993年にテレビ番組の企画でオール巨人に弟子入りするも破門。その翌年に森脇和成と猿岩石を結成。1996年に電波少年のヒッチハイクの旅で社会現象を起こしました。ヒッチハイクから帰国後、「白い雲のように」でCDデビューするとミリオンセラー。旅日記も大ベストセラーになりました。しかしその後ブームが失速し、レギュラー番組が「あの人は今」のみの頃もありましたが見事に再ブレイクを果たしました。再ブレイクのきっかけは「あだ名」。品川祐の「オシャベリクソ野郎」を筆頭に和田アキ子のR&B(リズムアンド暴力)、おすぎの「泥人形」、ベッキーの「元気の押し売り」など、的を得たあだ名のセンスはピカイチ。最近では「ロンドンハーツ」で、「有吉先生のタレント進路相談」や「格付けしあう女達」で視聴者の代弁ともいえる的確なツッコミが評判となっています。他にもものまねタレントとしての評価も高く、哀川翔や石原軍団を題材にしたマニアックなものまねコント(?)は爆笑ものです。
太田光と田中裕二の2人組。1988年コンビ結成後すぐレギュラー番組が決まり、若手のホープとして期待されるも太田プロから独立後は不遇な時期が続きました。その後、太田の妻・太田光代が社長となり芸能事務所タイタンを設立。1994年にテレビ朝日系「GAHAHAキング爆笑王決定戦」で10週勝ち抜き初代グランプリに。さらに「ボキャブラ天国」のレギュラーとなり、一気にブレイク街道を駆け上がりました。2011年現在レギュラー番組はTBS系「サンデージャポン」やテレビ朝日系「雑学王」、「お願いランキング」、フジテレビ系「笑っていいとも」など10本以上。超売れっ子になった今も漫才活動は続けていて、毎月一度事務所の主催ライブでは新作漫才を披露しています。ソロとしての活動も多く、太田は多くのエッセーを発表。2010年には初の小説作品「マボロシの鳥」を発表。田中は俳優やナレーションなどを務めています。
西田幸治と哲夫の2人組。それぞれ別のコンビで活動していましたが、共にコンビ別れしたタイミングでコンビを結成。その時のライブのタイトルが「笑い飯」だったことから、コンビ名を笑い飯にしたそうです。コンビではお互いボケ同士だったこともあり、ネタも一つのテーマから次々とボケを繰り出しあう、いわゆるWボケ。この新しい形の漫才で2002年のM-1で全くの無名でありながら決勝に進出。並み居る強豪の中から見事3位になり、一気に有名になりました。その後もM-1では毎年優勝候補といわれながら敗れ続け、2009年には伝説の鳥人ネタで審査委員長の島田紳助が100点満点をつけたにもかかわらず、決勝でこれも伝説といえるチンポジネタがすべり優勝を逃しました。そしてM-1最終年であり自身らもラストチャンスだった2010年に悲願の初優勝を達成。9年連続決勝進出の偉業に最後のチャンピオンという称号を手にすることができました。
実はファン歴25年。
大阪の4時ですよ~を生で見たこともあります。
最近は昔ほどのめりこんではいませんが、
それでも現役お笑いでは断然TOPです。
松ちゃんの天才ぶりなかりが評価されるけど
わたしは浜ちゃん派。
浜ちゃんがわかりやすく変えたことで
ダウンタウンは大衆受けしたと思います。
ごっつが大好きでした。
またごっつやんないかな。
ゴレンジャイとか腹抱えて笑ったよ。
松本信者です。
3本目の映画も楽しみ。